もちろん、そういった側面ながないとはいいません。
でも、子どもの表現に接していると因果関係だけでは語れないその子をとりまくものとの絆を感じ、その創造力には時を超えてその子が深くもっている可能性を感じる時があります。
子ども側からすると、そのアートや遊戯を通したプロセスから、無意識にも新たなストーリーへの土台を深く感じて安心するといった感覚に近いかもしれません。
子どものセラピーは、どういった形にするのか、また可能なのか、そしてタイミングも一件一件違うのです。ほとんどは、その子が教えてくれます・・・。
子どものセラピーのみで終結する場合もありますし、家族セラピーのようなものに発展するときもあります。
今、レスター市内の小学校で学校カウンセリングをしていますが、クライアントさんの中には、かなり大変なところを生きてきたという子どももいます。子どもは、自分の状態を過去のシステムとの関係性から表して見せてくれることがあり、胸がつぶれそうになるような時も正直あります・・・。
そんな時には、フィンガーペイントにどっぷりつけて、紙の上を滑らしている指の感覚に注意を向けたりしながら・・・。「冷たい、でもスムーズで柔らかい・・・ぼくのこころだ」と、お告げのような言葉を聴く時があります。やさしい自然な笑顔が顔を覗かせます。
そんなゆっくりしたプロセスから現れてくるものがあるのです。
文字通り?Hope(ホープ)がHope(希望)として、私の中でその子への深い尊敬と連帯感のようなものとなって、こころにアートのようにおさまっていく感覚。
感動とは何かを動かすのです。