イギリス在住者のブログです。個人・カップル向けに日英両語でカウンセリング行なう相談室を開業しています。こんなに長居をすることになるとは思ってもいなかったイギリスですが、中部都市レスターから思うことを綴っています。
2018年5月23日水曜日
タイガーマムのこころ
子どもの行動療法を専門に市の職員として家庭訪問をしているパキスタン系2世の友達がため息をつくのです。
ある小学校からリファーされてきた家族の家庭訪問をしたところ、
中国系移民1世の親が、イギリスの小学校職員から「もっと子どもを愛するように。あなたは勉強しろとばかり娘に厳しく、一緒に遊んだり、ハグをすることもないと聞きます。あなたはお子さんを愛していない。」と言われたと泣き崩れたというのです。
「何をもって、私たちが娘を愛してないなんて言えるのか」と。
パキスタン系移民の第一世代を親にもつ彼女は、その親がどれだけイギリス社会で苦労しているか知っているので、言葉がなかったと。労働市場には、言語問題のみならず、人種などによる差別は、悲しいかなやはり存在しています。階級制というのでしょうか、住み分けというのでしょうか、移民が労働力不足のところをまかなってくれる分にはいいいけれど、そうでないところではかかってくる無意識のブロックは強くなります。
中国人夫婦は、その子が何倍も努力しなくてはいけないこと、何かに卓越することを早くから教えたかったのかもしれません。そして、ハグという愛情表現は彼らの文化にはあまりなじみのないものだったのかもしれません。
子どもがひどい精神的打撃を受けているようであれればトラウマの世代間伝播などタイガー・マムに問題がないわけではありません。ただ、受け入れ社会(ここではイギリス社会)での苦労が生んだタイガー・マムであるかもしれないのです。
悲しいのは、その子はイギリスのメイン文化を基準に親を「自分を愛していない親」として見てしまうことです。が、コントロールされて自分を失っていく状況を「愛」だと思い込むことも危険ではあるのですが・・・。
世代間での分裂ではなく、緩やかな個人化と文化融合を進めていくには、メイン文化の多様性を包摂してゆくという環境は重要だと感じます。個人レベルでは、親もイギリスメイン文化を取り入れながらも自国の文化も大切に、自分たちの経験談やそこから学んだことを話してあげることは悪くはないのではないのでしょうか。
そして、あまり心配せず、子どもはみんなちゃんと「すべきこと」をもって生まれてきていることを信じることでしょうか。
とはいえ、日系移民1世の私としては、難しいことも日々感じます・・・。
2018年5月22日火曜日
専業主婦?それぞれの生き方でいいのでは・・・
日本ではよく女性の社会進出が遅れているということが取りざたされますが、女性の社会進出が世界一進んでいると思われているアメリカでのこと・・・。
職場で、結婚直後に
「子どもが生まれたらしばらく子育てに専念したい・・・」と私がいうと、
「あ、産後3ヶ月はゆっくりしてね。その間はなんとかするわ。隣に子どもの保育所があるから一緒に来て一緒に帰ればいいわ」とボス。
とりあえず、隣の保育所を見に行ったりしました。(※ のちにその保育所の奥のお庭で大麻が栽培されていたことがニュースになりびっくり・・・)でも、私の「子育てに専念」のイメージや希望はそんな数カ月のことではなかったのです・・・。
そんな職場に、ある日「アメリカのコミュニティー活動や社会福祉活動を見て回る」ということを目的に、日本の優秀な国立大学から女性の学生さんがみえました。将来、国連で女性の人権問題の仕事につきたい旨大学の先生に伝えると、「では、アメリカのソーシャルサービスの活動を見たり、ボランティアをしてくるなりのことをしておいで。」と言われて回っていたのです。
面白かったのは、コミュニティーセンターのActivity CoordinatorだったGailとその子の会話。Gailは、Vernetaが亡くなってから新しく来た白人のスタッフで、私は、いつも本音トークの彼女ともすぐ仲良くなりました。
その女学生さんが帰ってセンターを閉め終わったGailは、2階にすっ飛んで来て
「ちょっと、あの子ったらなんで国連を目指そうかと思ったのか聞いたら、母親が専業主婦ばかりの中で苦労して仕事をしている姿を見て、日本は女性の人権が無視されていると感じたのが発端なんですって。今も専業主婦ばかりだってぼやくのよ。それって本当?」と。
「う〜〜ん、そうかなあ」というと、
「なんでそれをぼやかなくっちゃいけないの?全くわからない。選べるんだったら、私も専業主婦がいい。それが認められているなんて、いい国じゃない!Yumikoも、そんないい国を捨てて、なんでこんなところでこんなストレスフルな仕事してるの?」と。
Gailはそもそもは美大を出て絵を描いていたのです。ご主人は、バンド活動をしていていました。ただ、それでは暮らしていけないし、お互い年金システムの支払いもしないといけない・・・ということで、Gailはコミュニティーセンターで、ご主人は楽器屋さんでフルタイムの仕事をしていたのです。子どもは大好きだったけれど、フルタイムの仕事の上、絵を描いたり音楽をしたりする時間はいるし、経済的に子どもに責任が持てない・・・と子どもは諦めたのだとか・・・。
Gailにとって、「大好きな子どもを育てながら絵を描く時間がある。それでいて、女性も仕事を持つべきなんていうプレッシャーを受けない社会なんて!」という新鮮な発見だったらしいです。
もちろん、分業だってそんなに単純なものでもなく、人はそれぞれの生き方の中で喜びも大変なこともあると思うのですが、面白い反応だなあっと思いました。仕事ってなんだろう?と考えた時、私たち日本人は、お金をもらって働くことだけが働くことではないという文化に育っているのでしょう。
「女性も外で仕事をしなくっちゃいけない」というのも「女性は家の中にいて家族の世話をしなくてはならない」というのと同じく一つの縛りなのかもしれません。
現在の資本主義社会で男性と同じように生きるのが当然であるとすることは、心の中の男性性と女性性のバランスを崩しがちになる・・・と言っておられる人もいます。ここでいう男性性・女性性とは一人の人の中にある性質です。
生き方が多様化する中、その社会のよしとする声との関係性の中でどうやって自分のこころとの折り合いをつけて自分らしく生きていけるのかも複雑になってきてきます。
そういえば、Gailはいつも「女性」の絵を描きつづけていました。「自分でもどうして女性ばかり描いているのかわからないけれど・・・」と言いながら。サンフランシスコで開催された地元アーティストの展覧会でGailの絵が賞をもらい、彼女の描いた「女性」を観にいったのはそれからしばらくしてのことでした。
2018年5月20日日曜日
ロイヤル・ウェディング
今朝買い物に行くと、ハリー王子とメーガンさんの結婚式が各新聞の一面に並んでいました。
イギリス王室の伝統にはない、離婚歴のある年上女性で、アフリカ系アメリカ人の母親を持つ者との結婚という側面でも注目されていますが、メーガンさん生き生きしたチャーミングな女性です。
厳粛な英国国教会・美しい賛美歌という王室文化の中、お二人がアメリカのシカゴから呼んだという黒人のカリー主教さんの「Power of Love (愛の力)!」のお説教とゴスペルによる「スタンドバイ・ミー」の融合・・・文化の変遷を感じました。
そんなカリー主教の姿とメーガンさんのお母さんの姿をロイヤル・ウェディングに見ながら、私の中では、思い出す事があります。
アメリカ時代に勤めていたソーシャルサービスエージェンシー。元々長い間地元に住んで白人層が少数、大多数がアフリカン・アメリカンという地区に徐々にいろんなアジア系移民が多く増えていった時期でした。まさに多文化地区にある高齢者関連のコミュニティーセンターには、大きなキング牧師の絵がかかっていました。
2階が私の仕事場だったのですが、私は、1階にあるコミュニティーセンターのActivity CoordinatorだったVernitaというアフリカン・アメリカンのスタッフととても仲が良かったのです。朝早かった仕事場で、二人とも朝が弱く、やっとの事で時間通りにたどり着くといつも近くのカフェまで交代で「モカ」を買いに行ったものです。こころが優しく、明るく、心に障壁なく人を受け入れる彼女は、私の一番のCoworkerだったのです。悲しかったことには腎臓の病気で早くに他界してしまいました。
私は初めてアフリカ系アメリカ人のひとたちが集う教会のお葬式に参列しました。主教さんはさまざまなな声のトーンでとても情熱的に身振り手振りを交えて、Vernitaの人生や天使が彼女を迎えにきた瞬間までを物語調に聖書の言葉とともに語られ、そして、ゴスペル音楽との融合・・・。
まるでオペラのようなお葬式に圧倒され引き込まれました。
ソーシャルワーカーであるというメーガンさんのお母さんがお勤めのL.A.のエージェンシーのサイトを思わず見てしまいました。私が勤めていたところとそっくりで、ふと懐かしくなり、久々にVernitaと彼女の文化のことを思い出していました。
メーガンさんの持っていたブーケは、ハリー王子が朝摘んできたお花で、その中に故・ダイアナ妃の好きだったわすれな草も入っていたとか。さて、二人は大きな文化の違いを超えて愛を貫けるのか・・・!「違いが大きければ大きいほど大変ではあるけれど、得るものもまた大きい」のが夫婦の不思議です。
イギリス王室の伝統にはない、離婚歴のある年上女性で、アフリカ系アメリカ人の母親を持つ者との結婚という側面でも注目されていますが、メーガンさん生き生きしたチャーミングな女性です。
厳粛な英国国教会・美しい賛美歌という王室文化の中、お二人がアメリカのシカゴから呼んだという黒人のカリー主教さんの「Power of Love (愛の力)!」のお説教とゴスペルによる「スタンドバイ・ミー」の融合・・・文化の変遷を感じました。
「私たちは愛の力を発見しなくてはならない。その時、私たちは古い世界を新しい世界にすることができるでしょう。」
「愛が道であるならば、私たちは剣や盾を川辺におき、戦争をやめるでしょう。」
「愛が道であるならば、神の子供たちである全ての人に十分に良い部屋が行き渡るでしょう。なぜなら、私たちは互いを大切に、そう本当の家族のように扱うからです。」カリー主教は、同性結婚の擁護者でもあり、社会正義と移民などについてもオープンで率直な意見を表明しているそうですが、なんとも情熱的で楽しいお説教でした。
そんなカリー主教の姿とメーガンさんのお母さんの姿をロイヤル・ウェディングに見ながら、私の中では、思い出す事があります。
アメリカ時代に勤めていたソーシャルサービスエージェンシー。元々長い間地元に住んで白人層が少数、大多数がアフリカン・アメリカンという地区に徐々にいろんなアジア系移民が多く増えていった時期でした。まさに多文化地区にある高齢者関連のコミュニティーセンターには、大きなキング牧師の絵がかかっていました。
2階が私の仕事場だったのですが、私は、1階にあるコミュニティーセンターのActivity CoordinatorだったVernitaというアフリカン・アメリカンのスタッフととても仲が良かったのです。朝早かった仕事場で、二人とも朝が弱く、やっとの事で時間通りにたどり着くといつも近くのカフェまで交代で「モカ」を買いに行ったものです。こころが優しく、明るく、心に障壁なく人を受け入れる彼女は、私の一番のCoworkerだったのです。悲しかったことには腎臓の病気で早くに他界してしまいました。
私は初めてアフリカ系アメリカ人のひとたちが集う教会のお葬式に参列しました。主教さんはさまざまなな声のトーンでとても情熱的に身振り手振りを交えて、Vernitaの人生や天使が彼女を迎えにきた瞬間までを物語調に聖書の言葉とともに語られ、そして、ゴスペル音楽との融合・・・。
まるでオペラのようなお葬式に圧倒され引き込まれました。
ソーシャルワーカーであるというメーガンさんのお母さんがお勤めのL.A.のエージェンシーのサイトを思わず見てしまいました。私が勤めていたところとそっくりで、ふと懐かしくなり、久々にVernitaと彼女の文化のことを思い出していました。
メーガンさんの持っていたブーケは、ハリー王子が朝摘んできたお花で、その中に故・ダイアナ妃の好きだったわすれな草も入っていたとか。さて、二人は大きな文化の違いを超えて愛を貫けるのか・・・!「違いが大きければ大きいほど大変ではあるけれど、得るものもまた大きい」のが夫婦の不思議です。
2018年5月18日金曜日
子どものセラピー
よく「子どもはまだシステム(家族や学校といった)の中にいるので子どものカウンセリングはしない」とか「親のカウンセリングをすると子どもの問題は解決する」とかいう臨床家がいます。
もちろん、そういった側面ながないとはいいません。
でも、子どもの表現に接していると因果関係だけでは語れないその子をとりまくものとの絆を感じ、その創造力には時を超えてその子が深くもっている可能性を感じる時があります。
子ども側からすると、そのアートや遊戯を通したプロセスから、無意識にも新たなストーリーへの土台を深く感じて安心するといった感覚に近いかもしれません。
子どものセラピーは、どういった形にするのか、また可能なのか、そしてタイミングも一件一件違うのです。ほとんどは、その子が教えてくれます・・・。
子どものセラピーのみで終結する場合もありますし、家族セラピーのようなものに発展するときもあります。
今、レスター市内の小学校で学校カウンセリングをしていますが、クライアントさんの中には、かなり大変なところを生きてきたという子どももいます。子どもは、自分の状態を過去のシステムとの関係性から表して見せてくれることがあり、胸がつぶれそうになるような時も正直あります・・・。
そんな時には、フィンガーペイントにどっぷりつけて、紙の上を滑らしている指の感覚に注意を向けたりしながら・・・。「冷たい、でもスムーズで柔らかい・・・ぼくのこころだ」と、お告げのような言葉を聴く時があります。やさしい自然な笑顔が顔を覗かせます。
そんなゆっくりしたプロセスから現れてくるものがあるのです。
文字通り?Hope(ホープ)がHope(希望)として、私の中でその子への深い尊敬と連帯感のようなものとなって、こころにアートのようにおさまっていく感覚。
感動とは何かを動かすのです。
もちろん、そういった側面ながないとはいいません。
でも、子どもの表現に接していると因果関係だけでは語れないその子をとりまくものとの絆を感じ、その創造力には時を超えてその子が深くもっている可能性を感じる時があります。
子ども側からすると、そのアートや遊戯を通したプロセスから、無意識にも新たなストーリーへの土台を深く感じて安心するといった感覚に近いかもしれません。
子どものセラピーは、どういった形にするのか、また可能なのか、そしてタイミングも一件一件違うのです。ほとんどは、その子が教えてくれます・・・。
子どものセラピーのみで終結する場合もありますし、家族セラピーのようなものに発展するときもあります。
今、レスター市内の小学校で学校カウンセリングをしていますが、クライアントさんの中には、かなり大変なところを生きてきたという子どももいます。子どもは、自分の状態を過去のシステムとの関係性から表して見せてくれることがあり、胸がつぶれそうになるような時も正直あります・・・。
そんな時には、フィンガーペイントにどっぷりつけて、紙の上を滑らしている指の感覚に注意を向けたりしながら・・・。「冷たい、でもスムーズで柔らかい・・・ぼくのこころだ」と、お告げのような言葉を聴く時があります。やさしい自然な笑顔が顔を覗かせます。
そんなゆっくりしたプロセスから現れてくるものがあるのです。
文字通り?Hope(ホープ)がHope(希望)として、私の中でその子への深い尊敬と連帯感のようなものとなって、こころにアートのようにおさまっていく感覚。
感動とは何かを動かすのです。
2018年5月15日火曜日
スペシャルな空間
滅多にないことなので、みんな気分も明るく解放的になっているように感じます。
イギリス暮らしももう11年。正直、もっと早くに日本に帰っておいた方が良かったのではないかと思ったりしない時もありません。英語で何の基盤もないところで仕事していく大変さ、夫以外頼れる家族のいない中での子育て・・・日本にいれば違ったのではないかなんてことがふと頭をよぎることもあります。それは、海外経験が私より少ないのに、長々と海外生活をすることになった夫も同じかもしれません。
カウンセリングを学びに出かけたアメリカからレスターに移住して息子が生まれた後、大学院の恩師であるジョン・ブランド先生をサンフランシスコに尋ねました。私が学生だった当時、窓のない入り口にあるとても小さなお部屋にいらしたのですが、私はそこを訪れるのはいつもとてもスペシャルな気がしていました。
久しぶりに尋ねた時にはブランド先生は、教授になって奥の見晴らしの良い明るい広いお部屋にいらっしゃいました。私が部屋のことをいうと、「ああ、そうそう。いいでしょう、この部屋は誰にも渡さないよ」と茶目っ気たっぷりに笑って見せるのですが、先生の元教え子に対しての深いさりげない優しさは昔のままでした。
話の途中で学科長がドアを叩き、「ジョン、ミーティングだから早く来るように」とせかされました。慌てて立ち上がろうとする私を制して、「大したことではない、気にするな」と苦笑しながら手を横にふって話を続けてくださいました。
イギリスのガーデンのカレンダーを手渡すと「イギリスらしい」と喜んで下さってから、
「あなたが今住んでいるレスターとはどんなところですか?」
と聞かれたので、
「日本とサンフランシスコの間のように感じるところです。」
と答えると、深い眼差しでしばらく間があってから、'Very interesting...'とひとこと。
スペシャルな臨床家というのは、何というのでしょう・・・ほんのわずかなやりとりでも、ものすごく深く理解されている気にさせるのです。その場の空間が別次元とでもいうのでしょうか。ブランド先生に質問され、知らぬ間に語っていたこころの風景、私の方はだいぶ時差があって・・・数年後に自分の言葉の意味に気がつきました。
あの「空間」を思い出していると、・・・私の中の様々な迷いは消え去りました。やはり、私にとってはスペシャルな師です。
2018年5月13日日曜日
バースデー
4日早いバースデーケーキです。理由はこころにしまっておきます。
今年から、誕生日は「好きな年」になって祝うということにしました 笑
浦島太郎が、玉手箱を開けて出てきた煙は「迷い」で、その途端年をとってしまったのだと日本にいる友達が教えてくれました。玉手箱を開けて出てきた煙によってちゃんと年をとる事ができた、と考えることもできます。友達によると、その後の物語があるそうなので、楽しみにしています。
現代は、本当の意味で年をとっていくのが難しいように思います。
理想と現実が乖離すればするほど鬱はひどくなると言いますが、その「理想」も実は頭が描いた幻想かもしれず・・・。
このケーキ、虹の橋をかわいい動物たちが渡っています。
美味しかったです。
登録:
投稿 (Atom)
Merry Christmas 2018
毎年、クリスマスの時期は願わくば雪が降って欲しい・・・と思ってしまいます。 12月の初めに、1週間研修でロンドンに滞在していました。 夜しかゆっくり街を見られなかったのですが、イルミネーションもお店の飾り付けも本当に華やかできれいでした。 それに比...