(続きです。)
とはいえ、ポリティクスとはそう簡単にはいかないものなのでしょう。そのソーシャルサービスエージェンシーが同性カップルへの養子縁組を行うことはありませんでした。でも、州の法律に反して差別を行ったと騒がれることもありませんでした。
家庭が必要な子どもと子どもを育てたい愛情深い家庭をマッチングしてサポートしてゆく、という使命を同じくするNon-Catholicの養子縁組団体と提携する道を見出したのです。資金とスタッフをその団体に委ね、自分たちは直接同性カップルへの養子縁組をすることなく養子縁組プログラムを続けたのです。
提携先の団体にはそういった縛りはなかったので、同性カップルを対象から排除する必要はなかったでしょう。
結果として・・・・その提携により誰も傷つけることなく養子縁組の数は以前よりぐ〜んと増えたのです!その一連の流れをうけて、あるカソリックの司祭さんの
「神は不思議な形で働かれる」
というコメントが何かにのっていて、なるほど・・・と思った日本人の私の頭にはなぜか「一休聖人」が思い出されました。小さい時、アニメ「一休さん」大好きでした。
日本社会の文脈で身近にこのことについて考えるようになったきっかけは、大人になって何十年かぶりに再会した目黒の小学校時代の友達から、当時仲良しだったイシグロくんが高校生の時に亡くなったことを知った時かもしれません。
ごく普通の男の子のいでたちをしていたイシグロくんは、女の子とばかり遊んでいたのですが、そのことを不思議とも思わないほど私も毎日当然のように一緒に遊んでいました。たまに「おとこおんな〜」と茶々を入れる男子もいましたが、それも彼の特徴としてクラスのみんなが「そんなイシグロくん」として受け入れていたような気がします。
私が横浜の小学校に転校したあともイシグロくんは何度か遊びに来てくれて、二人で「りぼん」や「マーガレット」といった少女漫画を読みながらおしゃべりが尽きなかったのを覚えています。
イシグロくんは思春期になってだいぶ悩んでいたそうで、色々と周りから言われることも多くなり、高校の時に自ら命をたってしまう少し前に、小学校の時の私たちの担任だった先生に会いにいったそうです。「きっと、みんなで遊んでたあの頃が居心地よくて楽しかったんだと思う」と再会した友達が言った時、1年しかいなかったその学校がその後の横浜の学校よりも、9歳の帰国子女だった私にとっても、温かく居心地がよかったことが思い出されて、なんとも悲しくなりました。
全米で同性婚が合憲化される2015年までの16年間、同性婚を法的に認めた州は認めなかった州より、LGBTの若者の自殺率が14%も低かったというデータがあるようです。
日本はやはり空気でしょうか・・・。法ももちろん大きいですが「世間の空気」がどうであるか、というのは私たち日本人にとって影響が大きいのかもしれません。世間の空気が苦手で海外に出てくる人は多いですが、寂しくなってまた空気を求めるのも日本人なのかもしれません。
多様性との関係で興味深いところです。