2018年12月25日火曜日

Merry Christmas 2018


毎年、クリスマスの時期は願わくば雪が降って欲しい・・・と思ってしまいます。



12月の初めに、1週間研修でロンドンに滞在していました。
夜しかゆっくり街を見られなかったのですが、イルミネーションもお店の飾り付けも本当に華やかできれいでした。

それに比べると地味なレスターですが、クリスマスの頃はなんとなく空気が違うようにも感じます。多文化都市だからか、仕事関係でも”However you celebrate it or not(どのようにお祝いするにしても、しないにしても)”という配慮の枕言葉がついたあとに ”I wish you a happy Christmas season”といったメールが回ってきます。


雪が降りつもると、教会や古い建物がまるでタイムスリップしたように、伝統を感じさせる古く美しいイギリスの冬風景に変わります。

どこにいても、あのハラハラと雪が空から舞い降りてくる様子が大すきです。


2018年11月2日金曜日

レスター・シティーのBlueDay ①

 先日のレスター・シティーFCのオーナーをのせたヘリコプターの事故を悼んで、地元の小学校では、今日は「Blue Day(ブルー・デー)」だそうで、子供たちも先生もみんなレスター・シティーのユニフォームやブルーの色を身にまとって登校していました。

これに先立ち、おとといは事故のことやいろんな気持ちをクラスで共有し、それぞれが自分の気持ちをオーナーの息子さんあての手紙として書くという時間がとられたので、今日のブルーデーはしんみりしたものではなく、みんなでスポーツをして楽しく過ごす日となったようです。

子ども達がふだん注目しているのは選手達で、オーナーが誰かなんてほとんどの子どもが知らなかったでしょう。でも、学校としては、事故の映像やニュースをみた子ども達のグリーフケア(喪失にともなう複雑な情緒的状態のサポート)という意味もあっただろうし(だとしたら、誰に手紙を書くのかなどは子どもそれぞれに任せたほうがいいと思いますが・・・)、Royal Infirmary病院に子どもの病院を再生する支援をしてくれたことなど普段知らないビチャイさんの街自体への貢献も伝え、感謝をするということも教えたかったのかもしれません。


昨日の夕方、レスター・シティーのスタジアムに立ち寄りました。記帳をしてから、スタジアム前のたくさんの花や旗といっしょに添えられた手紙やメモの言葉を読んでいると、それぞれがいろんな想いをもって関わっていたことが伝わってきました・・・。

” LCFCとレスターの街自体をたすけてくれて、本当に本当にありがとう。安らかに眠ってください。愛を込めて。”

”レスターは、お祝いするときも喪に服すときもみんなで共に”

”ひとりの紳士からもうひとりの紳士へ”

”不可能だった夢を可能にしてくれてありがとう”

”最も偉大な日から最も暗い日へ。どん底の日にも奇跡を・・・”

                                               などなど・・・・明日の試合、みんな応援しています。

2018年10月31日水曜日

ハロウィン

今宵は、ハロウィンです。



ハロウィンとは、昔は、自然崇拝・多神教だったケルト人の秋の収穫を祝うお祭りが起源で、その日は1年に1度、あの世とこの世の間にある「門」が開いて祖先の霊が家族を訪ねてくるとも信じられていたようです。

今では形骸化してしまって、特にアメリカ経由でハロウィンが入って来た日本では、コスチュームイベントのようなイメージになってしまっているハロウィンです。でも、起源を知ると、なんだか日本の自然・祖先崇拝の文化に生まれた「お盆」みたいです・・・。

イギリスの子供たちもこのイベントが大好き。近所の友達とコスチューム着てみんなでゾロゾロと練り歩いてます。大人の方は、大興奮で走り回ったり、騒いだりする子供たちをしつけながら引率するのは大変だけれど、家にいて絶え間ない"Trick or Treat〜"のノックに対応するのも結構忙しいです。用意したお菓子が少なすぎ、あっという間になくなり電気を消して過ごしていたこときもありました・・・。

基本的にはパンプキンがおいてあったり、入り口に明かりがついていたりするお家をノックすることになっていますが、最近はうちの近所でも、「ハロウィンには参加しません(ノックしないでください)」の張り紙があるお家も多いです。でも、中にはラッピングしたお菓子の詰め合わせや手作りケーキまで用意してくださって、「さあ、一人一人よく顔をみせて。どれくらいこわいか脅かしてみせてちょうだい🎃」なんて、笑顔で子どもたちに対応してくださる高齢者の方とかもいらして、感謝で頭が下がります。

コミュニティーや世代間のつながりの温かさを感じます。

今年のハロウィンの夜は仕事です。
静かに過ごせすのかと思いきや、カウンセリングルームがシティーセンターに近いからか、遠くに、子どもというより若者たちの大騒ぎする声が聞こえてきます・・・👻。


2018年10月28日日曜日

湖から出る虹

日本の友人から昨日届いた「湖の中から出る虹」の写真です。
27日の朝にかかったそうです。

ポツポツとレイボーフラッグについて思うことを書いていた時に届いた偶然。

虹が大好きなのでうれしいです🌈




友人によると、湖の中から出る虹はとても珍しく、

「水の湧き出るところから虹が出る」

と言って、なんと

竜宮城の門が開く日」

と言われているそうです。そう、あの「Urashima Taro」がおとづれた竜宮城です。




乙姫さまは一体どこへおでかけなのでしょう・・・💗

その後のお話が楽しみです。



2018年10月27日土曜日

レインボーフラッグに思うこと③

(続きです。)

とはいえ、ポリティクスとはそう簡単にはいかないものなのでしょう。そのソーシャルサービスエージェンシーが同性カップルへの養子縁組を行うことはありませんでした。でも、州の法律に反して差別を行ったと騒がれることもありませんでした。

家庭が必要な子どもと子どもを育てたい愛情深い家庭をマッチングしてサポートしてゆく、という使命を同じくするNon-Catholicの養子縁組団体と提携する道を見出したのです。資金とスタッフをその団体に委ね、自分たちは直接同性カップルへの養子縁組をすることなく養子縁組プログラムを続けたのです。

提携先の団体にはそういった縛りはなかったので、同性カップルを対象から排除する必要はなかったでしょう。

結果として・・・・その提携により誰も傷つけることなく養子縁組の数は以前よりぐ〜んと増えたのです!その一連の流れをうけて、あるカソリックの司祭さんの
「神は不思議な形で働かれる」
というコメントが何かにのっていて、なるほど・・・と思った日本人の私の頭にはなぜか「一休聖人」が思い出されました。小さい時、アニメ「一休さん」大好きでした。





日本社会の文脈で身近にこのことについて考えるようになったきっかけは、大人になって何十年かぶりに再会した目黒の小学校時代の友達から、当時仲良しだったイシグロくんが高校生の時に亡くなったことを知った時かもしれません。

ごく普通の男の子のいでたちをしていたイシグロくんは、女の子とばかり遊んでいたのですが、そのことを不思議とも思わないほど私も毎日当然のように一緒に遊んでいました。たまに「おとこおんな〜」と茶々を入れる男子もいましたが、それも彼の特徴としてクラスのみんなが「そんなイシグロくん」として受け入れていたような気がします。

私が横浜の小学校に転校したあともイシグロくんは何度か遊びに来てくれて、二人で「りぼん」や「マーガレット」といった少女漫画を読みながらおしゃべりが尽きなかったのを覚えています。

イシグロくんは思春期になってだいぶ悩んでいたそうで、色々と周りから言われることも多くなり、高校の時に自ら命をたってしまう少し前に、小学校の時の私たちの担任だった先生に会いにいったそうです。「きっと、みんなで遊んでたあの頃が居心地よくて楽しかったんだと思う」と再会した友達が言った時、1年しかいなかったその学校がその後の横浜の学校よりも、9歳の帰国子女だった私にとっても、温かく居心地がよかったことが思い出されて、なんとも悲しくなりました。



全米で同性婚が合憲化される2015年までの16年間、同性婚を法的に認めた州は認めなかった州より、LGBTの若者の自殺率が14%も低かったというデータがあるようです。

日本はやはり空気でしょうか・・・。法ももちろん大きいですが「世間の空気」がどうであるか、というのは私たち日本人にとって影響が大きいのかもしれません。世間の空気が苦手で海外に出てくる人は多いですが、寂しくなってまた空気を求めるのも日本人なのかもしれません。

多様性との関係で興味深いところです。




2018年10月22日月曜日

レインボーフラッグに思うこと②

全米で同性婚が合憲化されたのは、オバマ政権下の2015年のこと。その時、レインボーカラーに照らしだされたホワイトハウスや抱き合って喜ぶ様々なカップルの姿をいろんな想いとともにイギリスのレスターで眺めていました。


「レインボー ホワイトハウス」の画像検索結果

アメリカに滞在していたのは、2000年から2006年のこと。性的マイノリティーの人たちが多数暮らすサンフランシスコ市にあって、全米にネットワークをもつカソリック系のNPO法人で働いていた私は、この同性婚の合法化へ向かう時代の波の中にあって貴重な経験をしました。

同性愛者が不当な扱いをうけるべきではないという認識は広まっていますが、カソリックでは同性婚は認められていません。現ローマ法王は、先の2代の法王と比べ、同性愛を指向する人たちへの謝罪や交流もする開かれた法王といわれていますが、法王庁が同性カップルの結婚を認めているわけではありません。

勤めていたソーシャルサービスエージェンシーは、カソリック系とはいえ、その資金は教会だけではなく公的資金にも援助されおり、例えば、私のお給料はその大部分がサンフランシスコ市から出ていて多様性に対応するための市のプログラムの一部でもありました

そんなカソリック系NPO法人で問題となったのは「Adoption(養子縁組)」のプログラム。アメリカで同性カップルも対象に養子縁組が行われていたことを受けて、ローマの法王庁より即刻同性カップルへの養子縁組をやめるようにというお達しがあったのです。差別を禁止する州の法律とローマとの葛藤に堪え兼ね、このチャリティーの養子縁組のプログラムは東海岸から次々へと閉鎖されました。レインボーフラッグ発祥の地であるサンフランシスコ支部は一体どうするのか、当時好奇の目も含めかなりの注目が集まっていました。

そんな中、当時そのNPO法人のトップだった人のスタッフに向けた話にはとてもこころを動かされるものがありました。随分昔のことで、私の記憶を辿って書くことなので当時の言葉そのままではないかもしれませんが・・・こんな主旨だったと記憶しています。
「自分の家族は三世代の間敬虔なカトリック教徒でした。そして息子はゲイであった。神は家族を愛せよとも言われる。私は息子がゲイであることを受け入れ、息子を愛している。ソーシャルサービスの組織として、愛情深い家庭を必要とする子供を愛情深い里親のもとにマッチングすることがAdoptionの使命ならば、その条件を満たすカップルを見つけ養子縁組をサポートしたら、それがたまたま同性愛者だったということではないのか。自分は今回のことについて大変悩んだが、サンフランシスコではこのまま養子縁組のプログラムを閉鎖することもなく同性愛カップルをその対象から排除しないことを決めた。」
スタッフから沸き起こった拍手。 そして一部司祭の小児性虐待のニュースやLGBTコミュニティーに対する抑圧などといった問題で、不安な思いをしていたカソリック信者やその他の人たちのために彼はこう続けたのです。
「ここサンフランシスコでは、同性愛者にたいする抑圧を払拭しようとするあまり、同性愛に対して懐疑的な人たちが疑問の声をあげることも許されないという風潮がある。そういった人たちをすぐにHomophobia(同性愛恐怖・嫌悪者)といって非難するのもまた、ひとつの抑圧ではないだろうか。すぐに受け入れることが難しい人たちもいることを理解してほしい。」
と。異なる2つのものを「我がこと」として悩み愛してきた彼が、こころ尽くして双方を護ろうとする言葉を、ソーシャルサービスのために集まったいろんなバックグラウンドをもつスタッフは聞き入っていました。キリスト教徒ではない日本人の私もその一人で、いろいろと考えさせられました。

対立や分断ではなく不思議な道が現れたのはそれからまもなくしてからのことでした。


この続きはまた今度・・・。



2018年9月10日月曜日

レインボーフラッグに思うこと①


地元レスターでは、9月1週目はLGBTQの尊厳を大切にする「パレード・ウィーク」でした。イギリスで初めて「プライド・パレード」が催されたのは、南東部の都市ブライトン(Brighton)だそうです。

この夏、海を見にブライトンを訪れた際、プライド・パレードを目前にロイヤル・パビリオンすぐ近くのブライトン美術館正面にはためいていたレインボーフラッグの写真です。


ブライトン

もともとは、サンフランシスコに発祥をもつLGBTの尊厳を象徴するレインボーフラッグ。LGBTQとは、レズビアン(女性同性愛者)、ゲイ(男性同性愛者)、バイセクシュアル(両性愛者)、トランスジェンダー(性別越境者、生まれた時の性別とは別の性として生きようとする人)、そして聞きなれないQは”Questioning"(自分の性のあり方がまだハッキリしていない)や”Queer'(性的マイノリティー全般)を表すそうです。

このQueer(クィア)という言葉は「性的マイノリティー全般」を表すことからさらに派生して、今では性的指向のみならずその社会の主流であるナラティブからはずれたマイノリティーとなる人種や文化などといったもの一般をもふくむ総称としても使われることがあるようです。

私がこの「レインボーフラッグ」にはじめてであったのも18年前に留学で訪れたサンフランシスコ。先生のお部屋の入り口にまずこのレインボーのシールが貼ってあったのですが、当時はそれが何を象徴するのかさえも知りませんでした。

かなりな割合で性的マイノリティーである人たちが暮らすサンフランシスコではSexTherapyの授業などでも、必ず男女だけではなくLGBTについても組み込まれていて、自らのセクシャリティーについてや自分とは違う人たちに対してどういった感情をもっているかなども探っていくことをしました。つまり、頭で理解するだけでなく現在どういった感情を自分との関係性の中でもっているかということを知っておくためです。

これは、自分がセラピストとしてむやみに誰でもカウンセリングして無意識にもクライアントさんを傷つけてしまうことのないよう、その時々のじぶんの臨床能力を知っておくためです。

いろいろ学び、いろんな人たちとふれあい、何も知らなかった私は6年にわたるアメリカ生活の中で一番信頼できるようになった友達はゲイでした。知的で優しく正義感も強い人で、職場でもいろいろと助けてもらい、マイノリティーとして言語バリアなどをかかえて仕事をする私にとても共感的な彼とはプライベートでも交流するようになりごく自然に友達になったのです。




ブライトンの海


Merry Christmas 2018

毎年、クリスマスの時期は願わくば雪が降って欲しい・・・と思ってしまいます。 12月の初めに、1週間研修でロンドンに滞在していました。 夜しかゆっくり街を見られなかったのですが、イルミネーションもお店の飾り付けも本当に華やかできれいでした。 それに比...